ボレロ:起源と魔力

2018 Spring:Boléro:origine et magie
(ボレロ:起源と魔力)

 欧米でも日本でも、かつて氷の上には人間の豊かな生活文化が、花開いていた時代がありました。このような文化圏では、氷上は誰にとっても馴染みあるフィールドであり、スケート(Skating)は、生活の手段として人々の日常に浸透していたのです。冬になると人々は、スケート靴を履いて市場に買い物に出かけたり、温かい飲み物を片手に凍った池湖や川で様々な遊びを楽しんだりしていました。それが現在でも、氷上スポーツとして広く親しまれているスピードスケートやフィギュアスケート、アイスホッケー、カーリング競技の原形だったのです。また氷上に建てられたテントの中では、市街で禁止されているはずのギャンブルに興じる人たちもいて、無法地帯がひっそりと広がっていました。
 今ではとても信じられないことですが、自然の中で形成される天然の氷は、厚さが均質ではないためにしばしば脆く、不幸にも踏み抜いて命を落とす人もいたと伝えられています。

 本フィギュアスケート作品では、そのような古の時代に想を得て、スケートの魅力に取り憑かれた一人の男の姿を、以下のように象徴的に描いていきます。

 

深い霧に包まれた森の夜明け。凍った湖のほとりに一人の男が佇む。
いまだ漆黒の世界に、フクロウの鳴き声が、神秘的に、鈍く響く。
その鳴き声に誘われるように、男は氷の硬さを確かめつつ、
ゆっくりと氷の上に幾何学の図形を描きはじめる。


やがて日の出を予兆するかのように、東の空から薄明の世界が徐々に顔を覗かせる。
男はなお、黙々と様々なステップを試行錯誤しながら滑り続けている。
いつしか男の描くスケートの軌跡は、一箇所に留まることを知らず、
あたり一面縦横無尽に広がっていく。
ふと、男は立ち止まる。その顔には恍惚の表情が浮かぶ。


日の出がもう間近に迫り、空と大地の境界が曙色に染まりはじめる。
再び滑りはじめた男のスケートは次第に熱を帯び、やがて踊りに変化していく。
いまや滑る快楽の虜となった男の踊りは、もはや止む気配がない。


ついに樹々の隙間から、日の光が差し込みはじめる。
森が、湖が、そして世界が開眼するこの時。
太陽の熱が氷の表面をわずかに溶かし、日の光をあらゆる角度に反射させている。
だが、煌びやかな氷の舞台の下には、いつでも水はたゆたい、死の香りが充満しているのだ。
それに気づかぬ男は、狂気に取り憑かれたかのように滑り、踊り続けている。
瞬間、けたたましい音と共に光と闇が炸裂し、男の姿は湖面から忽然と消えて、無くなる。

 

 ボレロはモーリス・ラヴェル(Joseph-Maurice Ravel, 1875-1937)が、ロシア出身でフランスのバレエダンサーであったイダ・ルビンシュタイン(Ida Lvovna Rubinstein, 1885-1960)の依頼を受けて、1928年に作曲した舞踊音楽です。
 そしてボレロと言えば、モーリス・ベジャール(Maurice Béjart, 1927-2007)の革新的作品(1961年初演)をはじめ、野村萬斎の三番叟を基軸とする作品(2011年初演)、日舞の花柳壽輔・花柳輔太朗振付の群舞作品(2012年初演)などの傑作が、舞踊史の中で燦然と輝いています。もちろんフィギュアスケート界でも、数多くのボレロ作品が生まれています。ジェーン・トービル(Jayne Torvill, 1957-)&クリストファー・ディーン(Christopher Dean, 1958-)のプログラム(1984年)は、それまで競技ダンスの性質が色濃かったアイスダンスのパフォーマンスを、フィギュアスケート独自の創作ダンスへと昇華させた画期的な作品として今もなお語り継がれています。さらにはエフゲニー・プルシェンコ(Evgeni Viktorovich Plushenko, 1982-)やエヴァン・ライサチェク(Evan Frank Lysacek, 1985-)などの男性スケーターが圧倒的強度と技術力をもって、競技用プログラムとして表現しました。


 こうした過去の名作を踏まえた上で、今回Atelier t.e.r.mは、ラヴェルの舞踊音楽ボレロに、「起源と魔力」という独自かつ普遍的なテーマを新たに見出しました。フィギュアスケート(figure-skating)の起源であるコンパルソリーフィギュアをあえて振付に用い、幾何学の「図形」がもつ神秘性と魔性を立ち上げることに挑戦しています。また「舞踊」はときにその呪術性によって人を熱狂させますが、今作では一人の男が「滑ること」と「踊ること」に我を失うほど熱狂していく過程を、図形や衣装、照明などの効果を最大限駆使しながら表現することに注力しました。


 そして何より、今作《ボレロ:起源と魔力》は、ドイツの詩人フリードリヒ・ゴットリープ・クロプシュトック(Friedrich Gottlieb Klopstock, 1724-1802)の詩”Der Eislauf”(「スケート」1764年)に啓示を得て制作されました。この詩は氷の上を滑ることの快感と、スケートが根源的に秘めている魔力、そしてそれに囚われた者が辿るであろう末路を暗示した作品です。命を失う危険性があってもなお、滑って踊ることに駆り立てられる男の姿 —— 熱狂を呼ぶムーブス・イン・ザ・フィールド(*)によって、フィギュアスケートの初源と失われた氷上文化を現代に甦らせます。

*「氷面を最大限使ったステップ」を表すフィギュアスケート用語

Art Direction (監修):Atelier t.e.r.m

Choreography (振付):Tatsuki Machida (町田樹)

Costume Plan (衣裳原案):Atelier t.e.r.m

Music (音楽):Boléro
[UCCD-5044, Decca Music Group, 1989年]

Composer (作曲):Joseph-Maurice Ravel

Conductor (指揮):Charles Dutoit

Orchestra (演奏):Orchestre symphonique de Montréal

Music Editor (音楽編集):Keiichi Yano (矢野桂一)

Costume Support (衣裳協力):Yuki Shidara (設楽友紀)

Lighting Support(照明協力):Tokyo Butai Showmei(株式会社 東京舞台照明)at PIW