[写真集] そこに音楽がある限り —— フィギュアスケーター・町田樹の軌跡

2019年10月 Atelier t.e.r.m 編著、新書館刊

 2018年10月6日、町田樹は渾身の最終二作品(《ダブルビル》《人間の条件》)の上演をもって、氷上の演技者としてのキャリアの幕を閉じた。町田にとってはとりわけ、2013年度の全日本と世界選手権の躍進劇(共に銀メダル)の舞台でもあった思い出深い場所(さいたまスーパーアリーナ)での心温まる引退セレモニー、いつまでもいつまでも降り注ぐ観客の温かい拍手…それは、競技者、演技者、観客、スタッフの別を超えて共有し得た稀有な時間となった。


 本書は25年間にわたる町田樹のフィギュアスケーターとしての軌跡を、多様な側面の魅力を紹介しつつ、後世に残す記録である。町田は2014年12月28日に現役引退後は、大学院生の本業の傍らプロスケーターとして活躍、さらに振付と照明演出の新たな才能も世にあらわして、多くの観客を魅力した。
 Atelier t.e.r.m (以後Atelierと略称)は、現役最終段階の時代から現在に至るまで、その町田の活動を支えている匿名の制作集団である。日本在住の複数の研究者、芸術家から構成され、町田もメンバーの一人である。私たちは町田と共に新たな制作を楽しみ、果敢に未知の試みに挑戦してきた。Atelier の中でスケート技術があるのは町田一人であるが、他のメンバーは長くフィギュアスケートを観戦、鑑賞してきた。そして本業の傍らボランティアで、それぞれの能力を発揮して制作に参加している。それは何よりも、町田が信じる「フィギュアスケートは総合芸術である」というモットーを皆が共有しているからであり、いまだ開拓されていない数々の可能性を、私たちもまた見たからである。2018年10月のプロスケーター引退を記念して出版された本書は、主に町田樹以外のAtelierメンバーが執筆している。


【PartⅠ 競技者・表現者 町田樹の軌跡】では、これまで未公開であったことも含めて、町田樹のスケーターとしての25年間の紆余曲折の歩みを記す。後世に向けての「ドキュメンタリー」を正確に残すために、アスリートとアーティストのはざまに位置するフィギュアスケーターという独自の存在様態を、客観的に描き出す。町田樹という存在を通して、極めて若い時期にピークが来るスケーターたちの苛酷な競技実態や、それを支えるはずの練習環境の劣化の状態、一方では真の芸術性に触れることによって花開く、奇蹟のような知的感受性と演技への反映の有り様も浮かび上がるだろう。さらにオリンピアンとなった彼が、プロの演技者・振付家・演出家として高い境地に到達したその軌跡を描きつつ、制作陣が心血を注いだプログラム制作の裏側を明かす。

【PartⅡ プログラム・アーカイブ】では、ジャパンスポーツの精鋭カメラマンたちによる町田樹作品の写真を、競技者・プロ両時代の作品の全てで構成する。本書ではこれに工夫を凝らし、制作の時系列に紹介するのではなく、実は町田樹作品に流れる重要なテーマごとに、作品群を編成し直してみた——「跳躍」「悲恋」「バレエとフィギュアの出合う場所」「そこに音楽があるかぎり」「人間の条件」の5テーマである。
 競技会作品も含め、すべてに「セルフライナーノーツ」(町田樹執筆、Atelier監修)が付されている。新書館編集部による2つの誌上上演 —— 《ダブルビル》《人間の条件 —— マーラー・アダージェット》の試みも披露する。


【PartⅢ 舞台を支えた人々】では、町田の舞台を支えた音楽、音響、照明、写真、放送、興業主、スケート靴、トレーナー等のプロフェッショナル18名に、新書館編集部がインタビューを行い、貴重な証言を得た。町田の思いがけないエピソードや、彼の演技と舞台への愛情がたっぷりと語られている。


【PartⅣ フィギュアスケートとアーカイブの意味】は本書最終部であり、研究者・町田樹自身による文章が置かれている。これはフィギュアスケートとアーカイブの関係を問う学術的エッセイであり、図らずも本書が後世に持つ意味を問いかけることにもなろう。
[その後同論文は博士論文に組み込まれ、町田樹の単著『アーティスティックスポーツ研究序説 : フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』白水社、2020年として刊行。
日本体育・スポーツ経営学会令和2年度学会賞、2021年3月]


【その他】
 コラム1「フィギュアスケート写真の魅力——舞踊写真の新たな領域へ」
 コラム2「照明の魔術」
 コラム3「衣装の秘密」
 REVIEW「町田樹《人間の条件》——ただ一度の奇蹟にかけるということ」


 このように従来全く類例を見ないフィギュアスケート本としての本書は、町田樹という競技者がいかにして不出世の表現者へと成熟していったのか、その真の軌跡を描くと共に、町田樹が心を込めて世に送り出してきた数々の作品を、彼自身の華麗な舞姿の中に刻印することも、心から大事に制作されている。
 2018年10月の演技を最後に、プロの実演家としての町田樹の姿はもはや無いが、この一冊が、手にとって下さる全ての方々にとって、一人のアスリートかつアーティストの軌跡への理解を深めると共に、かつての観戦や鑑賞の思い出と共に、永く記憶にも残る一冊となることを、祈ってやまない。 


Atelier t.e.r.m


※本書について詳しくは、こちらをご覧ください。
https://www.shinshokan.co.jp/special/tatsukimachida/photobook.html