人間の条件 —— マーラー・アダージェット

2018 Autumn:La condition humaine:Mahler, Adagietto

明日、世界が
滅びるとしても
今日、あなたは
りんごの木を植える

開高 健


 人は、「人生」という名の道を歩く。その道は、自分の想像力や希望によって未来を思い描くことはできても、誰一人として正確に予測することはできない。
 生きていれば、人はときに不条理な状況に突然立たされたりする。行く手に高い壁が立ちはだかり、絶望の淵に沈むことさえある。しかも、願ってもそこに救いの手が差し伸べられるとは限らない。だが、それでも人間は生きていかなければならない。では、何を信じて生きればよいのか。きっと、その答えは自分の中に存在する。ほんの少しの意志さえあれば、人は何らかの答えを必ず見つけ出し、また再び前進するための一歩を踏み出すことができるのではないか —— 。


 フィギュアスケーター最後の作品として、私が選んだ音楽はマーラー「アダージェット」。そこに寄り添ったのは、開高健の珠玉のことばでした。彼はそこで、たとえ明日世界が滅びようとも、「それでもなお」人間は希望の苗を植える、という意志と勇気を語っています。


 今作《人間の条件》は、運命に抗してでも生きようとする「人間の尊厳」を、独自に表現しようとするものです(*)。音楽は、ヘルベルト・フォン・カラヤンが1973年8月にザルツブルク音楽祭にて指揮したグスタフ・マーラー作曲の「アダージェット」(交響曲第5番第4楽章, 1904年初演)。元来、音楽史上においてこの曲は、マーラー自身が最愛の妻アルマに贈った愛をテーマにした楽曲だと言われています。しかしカラヤンの指揮するこの演奏では、神あるいは運命の支配者との対話が感じられるのです。私たちはそこに、運命の支配者へ自らを問う「提示」  「逡巡」  「怒り」  「慈愛への憧憬」  「諦念」と「意志」、という哲学的な思考の軌跡が、ある種の緊迫感を伴って進展していくさまを読み取ることができます。このような演奏に導かれた本フィギュア作品は、不条理な運命に抗して、なおも前に一歩を踏み出していく一人の人間の姿を、純白の氷に刻印するものです。
 この最後の作品が、これまでフィギュアスケーターとしての私が紡いできた幾つもの作品に連なる、究極の人間賛歌となることを希求しています。

Art Direction (監修):Atelier t.e.r.m

Choreography (振付):Tatsuki Machida (町田樹)

Costume Plan (衣裳原案):Atelier t.e.r.m

Music (音楽):Symphony No.5 in C-Sharp Minor, Adagietto
From Salzburger Festspiele on 28th Aug. 1973
[FKM-CDR-192, Fachmann für Klassischer Musik Society, 2001年]

Composer (作曲):Gustav Mahler

Conductor(指揮):Herbert von Karajan

Orchestra(演奏):Berliner Philharmoniker

Music Editor (音楽編集):Keiichi Yano (矢野桂一)

Costume Support (衣裳協力):Yuki Shidara (設楽友紀)

Lighting Support(照明協力):TV Tokyo Art & Lighting, Inc.(株式会社 テレビ東京アート)


(*)
なお本作品については、次のインタビュー記事でも、制作の詳細を語っておりますので、ご覧頂ければ幸いです。
「町田樹 最後の作品を語る」(『町田樹の世界』所収、新書館、2018年10月)

Performances (公演記録):

Carnival on Ice 2018(Saitama), Oct. 6th 2018